ママ、ごはんまだ?

一青窈さんの姉で、中能登町の観光大使をつとめる一青妙さんのエッセイ「ママ、ごはんまだ?」の映画が、来春公開されます。原作のエッセイは亡くなった母親の思い出を台湾の家庭料理を通してつづったものです。この映画が、中能登町町制10周年事業という大きな節目の興業であることから、映画の台湾料理を味わえるように、道の駅織姫の里のキッチンなかのとで、お惣菜として販売することになりました。本の中には日本で知られていない料理もあり、インターネットを駆使してレシピを探し、試作を繰り返しています。お惣菜販売は11月からの予定。(2016年9月号)

ヒーラーになるためのトレーニング

昨年、ジェームズ・トワイマンさんが主宰する”33 Spiritual Peacemaking Lessons”を受け、引き続き365日間の”Daily Spiritual Peacemaking Lessons”を受けました。それがちょうど6月に終わったばかりです。それはイエス・キリストをチャネルしたメッセージがメールで配信されるオンライン・レッスンです。その後2004年4月から、急に思い立ってヒーラー修行をはじめました。目標の100人ヒーリングを達成した現時点で、この2ケ月半を振り返って感じることを書き留めておくことは、これからの自分のためにも、そしてこれからヒーラーになろうと思う方のためにも、参考になるのではないかと思いました。現時点で私に感じられることをありのままに書きます。

ヒーラーの資質

波動感覚があると、自分からどれだけエネルギーが出ているか、上達の程度がわかるんです。ただマニュアルどおりこなすだけで、自分が何をしているかわからない、相手のエネルギー状態もわからないでは、悦びがないですよね。悦びがないだけではなく、夜道を目隠しで運転しているような危うさがあります。波動感覚に乏しいと、危険予知ができないからです。

ヒーリングにはエネルギー・ワークだけではなく、マッサージや指圧のようなボディ・ワークもあるし、カウンセリングで導くヒーラーもいれば、絵や音楽で癒すヒーラーもいますし、自分に一番あった表現で貢献していけばいいんだと思います。

自己管理

ヒーリングをする相手(ヒーリー) には一番いいエネルギーを送りたいし、ヒーリング後に相手の邪気を自分の体に残さないよう、自己管理にはとても気をつかいます。遠隔ヒーリングはヒーリーにチャネリングをしてから行いますが、チャネリングをするとナトリウム、カリウム、鉄分、カルシウムなどを消費するということを知りました。それを知らずに、肝臓をやられるヒーラーが多いそうです。

サイキック・アタック

サイキック・アタックとは、生霊のようなエネルギーの攻撃をいいます。遠隔ヒーリング後に、何度かサイキック・アタックに悩まされました。私が受けたサイキック・アタックはいずれも、ヒーリングを終えてチャネルを切っても、ヒーリーがつないでくる。寝ている間もヒーリングが自動的にオンになっていて、朝起きるとぐったりと消耗しているという経験をしました。特に太陽神経叢のエネルギー漏れがひどかったです。

最初にサイキック・アタックを受けた時、ヒーリングをすることがひどく不安になり、ヒーラーの先生に相談したところ、「したくないなら、するな!」と一蹴されました。ヒーリングは続けたかったので、何度かこういう経験をしても、自分の波動がもっとあがればなんとかなると耐えました。

 

中立であるということ

ヒーリングはまずセンタリングとグラウンディングをしてから行います。これは地球と宇宙からエネルギーを入れるための基本ワークです。そして、ヒーリングを受ける相手 (ヒーリー) がどんなに悲惨な状況にあっても、情を入れてはならないというのが、ヒーラーに求められる鉄則です。なぜかというと、相手の情にまでシンクロさせてしまうと、自分の中心軸がブレてしまい、ヒーリング・エネルギーが十分に出せなくなるからです。遠隔ヒーリングは相手がみえないので、情が入りにくいという点では初級者の練習向きだと思いました。それと同時に、遠隔ヒーリングの限界も感じました。

 

 

日本古来の宗教や信仰の中に「天使」に相当する霊的存在がみあたりませんが、あえていうなら「眷属(けんぞく)」でしょうか…..、ともかく神と人間のあいだにたつ取次役をする霊的存在がいるようです。天使とのコミュニケーションの仕方については、ドリーン・バーチュ女史が「エンジェル・セラピー」や「エンジェル・メッセージ」という本の中で書いているので、ちょっと引用させていただくことにします。

「天使との交流は誰にでもできます。それが不可能な人など存在しません。神から選ばれた人だけが天使と交流できるとか、特殊能力をもっていなければだめだとかいうのは通説にしかすぎません。神によって創られたわたしたち人間に、天使の声が聞こえないわけがないのです」

天使と交流するために特別の儀式をとりおこなう必要はありません。神も天使も複雑さを嫌い、純粋さと単純さこそがその存在の神髄だからです。(中略)次に示すのは、天使を呼び出すいくつかの方法です。

手紙を書く。姿を思い浮かべる。祈りで呼び出す。話しかける。

すべての人が天使のメッセージを音として聞くことができるわけではありません。天使のメッセージは、幻視や感覚、あるいは認識といった形で伝えられることが多いからです。(中略) あなたはいろいろな形で天使とコミュニケーションを取ることができます。いかにその方法を示しますが、一番大切なのは直感です。自分に合っている方法を選ぶことがスムーズナコミュニケーションの第一歩ということができるでしょう。

自動手記
(1)自動手記を行う日付や時間を特定する
(2)邪魔が入らないような静かな場所を選んでおく
(3)鉛筆を使う(タイプライターも可)
(4)心を落ち着けてじっと待っていると、精神世界の住人があなたに話しかけてきます。恐れては行けません。恐れという負の感情は、スムーズなコミュニケーションを邪魔するものです。

夢を介して天使と会う。天使のカードやペンデュラム(振り子)を使ったコミュニケーション。体の中で会話をする。

「(天使のメッセージ) わたしたちの声を聞くことはそれほど困難ではありません。あなたが自分の心を開きさえすればいいのです。わたしたちは、あなたが想像する以上にあなたの近くにいます。あなたがわたしたちに声をかけてくれたり、あるいはわたしたちのことを脳裏に浮かべてくれるだけで話をはじめることができるのです。わたしたちは、肉体を持って地上界に生きるあなたがこれから行うこと、ひとつひとつを尊重します。わたしたちがあなたの生活に入り込むことはないでしょう。わたしたちがあなたにもたらすのは干渉ではなく、祝福と、自分自身を新しい角度から見るための方法です。

周囲の空気を浄化することによって、あなたとわたしたちは、よりはっきりとした形での交流を持つことができるようになります。わたしたちとの交流は、霧を通しておこなわれるようなものと考えてください。霧が晴れるにつれて、交流の内容は明確なものとなります。霧が濃ければお互いの意志の疎通が難しくなってしまうのは当然です。思いがけない誤解も生まれるかもしれません。あなたは、自分を浄化することによってこの霧を晴らすことができるのです。

わたしたちはあなたに聖人のような生活を送って欲しいと言っているのではありません。気をつけて欲しいのは、あなたが自分や他人に対して使ったり抱いたりする言葉や考え方です。また恐れの感情から生まれる嫉妬や競争心、公開、自己憐憫はあなたのエネルギー場を暗く重いものにしてしまいます。何事に対しても許しの心を持つようにしましょう。自分自身に対しても、特定の状況に対しても、他人に対してもです。他人を許せない気持ちは、あなたのオーラを黒煙のようにしてしまいます。」

自分の経験からすると、わけのわからない霊的存在は危険。ペットの方がよほど人間を癒してくれる天使的な存在です。

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ヴィパッサナー瞑想とその効果について

私がこれまでやってきた瞑想法には、座禅とヴィパッサナー瞑想があります。座禅はよく知られていますが、ヴィパッサナー瞑想については知らない方の方が多いのではないかと思います。ヴィパッサナー瞑想は一番最初にセンターで10日間の修行をしなければならないことになっており、個人が勝手にヴィパッサナー瞑想のやり方を教えることは禁じられています。指導者による正しい瞑想法を習得することが必要とされています。そのため自分の知り合いにヴィパッサナー瞑想者がいないかぎり、その情報に触れることもほとんどないのではないかなと思います。仕事を持っているとなかなか10日間というまとまった休みは取りにくいと思いますが、各月2回ある10日間コースに70~80人は集まるというのですから、それだけ引きつけるものがあるのだと思います。

ヴィパッサナー瞑想はインドの最も古い瞑想法のひとつで、2500年前にブッダが人々を苦しみからの解放するために、生涯を通して教え続けた修行法です。しかし時代が下るとともにその瞑想法が失われ、唯一、ミャンマーで師から弟子への直伝という形で保たれてきました。ミャンマーのヴィパッサナー指導者のサヤジ・ウ・バ・キンから、ゴエンカ師はヴィパッサナー瞑想法を学び、まずインドで指導を開始し、世界各国に広まりました。日本では1989年に京都の山里に「ダンマバーヌ」というヴィパッサナーセンターが開設されました。

ゴエンカ師による教えは、もちろん仏教の教義に違いありませんが、ヴィパッサナー瞑想テクニックの伝授という位置づけなので、宗教の壁を超えてキリスト教、ヒンズー教、イスラム教等の信者にも広く門戸を開放しています。

ヴィパッサナー10日間コースのメニューは、4時に起床して、4時半から21時までの間に約10時間瞑想を行います。食事は、菜食で1日2回です。また、10日間を通して、「聖なる沈黙」を守らなければなりません。
受けるに当たって、それなりの強い決心が必要な修行です。けれどもそれだけ集中してヴィパッサナー瞑想をすると、浄化が進み、かなり深い部分まで心の手術ができます。

10日間コースの費用ですが、自分のコース費用は以前に受講した人の寄付によってまかなわれています。コースに参加するための費用は、食費・宿泊費を含めて一切請求されません。コース終了後に、受講者が他の人々にも同じ機会を与えたいという自発的な意志があれば寄付を行って帰ります。

興味がありましたら、ゴエンカ氏の本「日ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」などを参考にして下さい。

※ 参加される方への個人的なアドバイスですが、サンダル、虫よけスプレー(香りの強くないもの)、虫さされの薬、空のペットボトル(小)を持参していくと便利ですよ。それから、聖なる沈黙と浄化のせいで、夜中に寝言を言ったり、叫んだりする人が結構いるので、神経質な人は耳栓があったほうが安眠できます。

私の体験

私の友人に熱心なヴィパッサナー瞑想者がいて、約20年前にはじめてコースを取りました。その当時、座禅で長時間の瞑想に慣れていたつもりが、非常に辛く、苦しい10日間だったという思いばかりが残って帰ってきました。それでも友人がグループ瞑想会やセルフ・コースを自主的に開いてくれていたので、なんとなく細々とヴィパッサナー瞑想を続けてきました。

そらから10年が過ぎ、自分を深く見つめなおしたいという願望から、、本当に久しぶりにダンマバーヌに出かけました。以下は、その時ののジャーナルです。

1~3日め
ヴィパッサナーコース初日にものすごくいい夢を見た。そのせいで妙にウキウキしてしまい、瞑想がガタガタ状態。体が調整しているのか、眠気も強く、目を閉じれば爆睡するか、雑念だらけで集中力ゼロ。特に課題がないから、あせりもなく、まあいいや~という感じ。

4日め
待ちに待ったヴィパッサナの日。やっと眠気も抜けて、起きていられるようになったけれども、相変わらず集中力はない。ただ体中のエネルギーの流れがとてもいいので、気分は上々。

5日め
この日の午後はかなりの邪気が抜けはじめて、とても座っていられない状態になる。苦しい、、、でもいらないものが抜けるのは嬉しい。かなり邪気が抜けたから、今回の瞑想はこれぐらいにして、奉仕(サーバー)に加わって、料理を作りたいという衝動にとらわれ始める。

6日め
シャワー・トイレ棟の掃除をしながら、あまりのエチケットやマナーの悪さに新しい生徒への不満が噴出してくる。自分のサンカーラ(反応)を観察しながら、まだまだ捨てきれていないエゴがいっぱいあるなと思う。人を通してでなければ、自分のエゴが見えない。人口密度の濃い空間での集団生活はきついけれども、これも修行のうちなのだと思った。

7日め
今まで深まらないヴィパッサナー瞑想で「良し」としてきた自分の態度を反省して、7日めから一切の雑念を横において無念無想になろうと決心する。聖なる沈黙と長い瞑想時間で準備が整っていたのか、思考停止をすると、いとも簡単に禅定に入る。禅定に入るとものすごく気持ちいい。ヴィパッサナはどうでもよくなる。一日中、気分爽快。残りの日もこんな感じでどんどん進もうと思った。

8日め
思うように行かないのがこの世の常だと思い知らされる。前日の瞑想が深過ぎて、ちっとも眠れなかった。そのせいで瞑想時間中、ほとんどが爆睡だった。意識が保てない。昨日のようにいかなくてちょっとブルー。その日のゴエンカ師の法話にハッとさせられる。ヴィパッサナーは気持ちのいい感覚を楽しんだり、探したりするものではない。気持ちのいいものも不快なものも、ただ観察する。感覚自体に意味はない。ただ感覚には共通する性質がある。浮かんでは消えていく、浮かんでは消えていく。アニッチャー(無常)。

9日め
真剣にヴィパッサナー瞑想に取り組める最後の日。禅定を意識するよりも、ヴィパッサナーに集中する。細かく観察していくと喉からハートにかけてブロックがあり、メスを入れていくと、自分でとうに消化したと思っていたコンプレックスが出てくる。胸がキリキリと痛みだすが、手術しないと本当の意味のハートの覚醒が起こらないと思った。これでよしと満足していると、次の瞑想時間には新たな問題に取り組まされた。

足のしびれを観察しているうちに、右肩甲骨に鋭い痛みが走り始めた。脂汗がにじむほどの痛み。それを客観的に観察しようと思っても痛いものは痛い。痛みに対してどうやって客観的になれるかを考えてみる。ユダヤ人の強制収容所にいた人たちはどうやって飢えや痛みに耐えしのいだのか。磔にされたイエス・キリストはどうやって痛みを切り離したのか。ありがとうおじさんが骨折した時に痛みを感じずに過ごしたという話を思い出して、今度、おじさんに会ったらやり方を聞いてみようと思った。

次の瞑想時間になると、また右肩甲骨が猛烈に痛み出した。ちゃんと痛みを消してみなさいってことかと思いなおして、神様にお願いしてみる。全然よくならない。それどころかもっと痛くなってくる。自分の中に痛みを入れてはいけない、自分を消さなければ痛みは消えないと思うけれど、痛いものは痛い。痛みの観察どころじゃない。心の平静を取り戻すために、呼吸に集中する。鼻腔に出入りする空気の流れ、一呼吸、一呼吸を感じているうちに、ふっと宇宙の意識につながった。自分の呼吸と鼓動が宇宙の意識に溶け込んでいくと、自分はこれまで一時たりとも大いなる意識から離れたことはなかったことにハタと気付かされた。

意識が肉体に戻ると、肩甲骨の痛みも足のしびれも消えてしまっていた。肉体という枠組みを使って、己を観察しなさいというヴィパッサナーの実践的手法のすごさを本当の意味で体験した気がした。これがパンニャー(般若:智恵)なのだと腑に落ちた。

10日め
9日めの体験にすっかり満足して、この日はまたヴィパッサナー瞑想が適当になってしまう。私の悪いクセだ。午後から聖なる沈黙が解かれる。自然の声しかなかったダンマバーヌが急に騒がしくなる。音波のショックから逃れたくて、つとめて静かな場所を探して過ごす。でも音に少しずつ慣らしていかなければ、とても街中の喧騒には耐えられない。夕方頃から人に交わって話をし始める。

最終日の夜も、最初の日に対応するいい夢を見た。おかげで、翌朝の瞑想も嬉しさのあまり心が落ちつかなかった。

そして現在

内なる自分の観察をとことん体験しつくしたら、渇望がなくなってしまいました。今は瞑想とは無縁の生活です。みんな生きるのが苦しいから、何か答えを求めて、すがるようにコースにやってきているのだと思います。気のすむまでとことんやれば、ある時、フッと手放せる時がきます。極まれば転ずで、執着する自分からとらわれれない自分にスイッチが切り替わる時がやってくる。悟りを開いたとか、そういうすごい境地ではありませんが、いい意味で肩の力が抜けたと思います。

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