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ヴィパッサナー瞑想とその効果について

私がこれまでやってきた瞑想法には、座禅とヴィパッサナー瞑想があります。座禅はよく知られていますが、ヴィパッサナー瞑想については知らない方の方が多いのではないかと思います。ヴィパッサナー瞑想は一番最初にセンターで10日間の修行をしなければならないことになっており、個人が勝手にヴィパッサナー瞑想のやり方を教えることは禁じられています。指導者による正しい瞑想法を習得することが必要とされています。そのため自分の知り合いにヴィパッサナー瞑想者がいないかぎり、その情報に触れることもほとんどないのではないかなと思います。仕事を持っているとなかなか10日間というまとまった休みは取りにくいと思いますが、各月2回ある10日間コースに70~80人は集まるというのですから、それだけ引きつけるものがあるのだと思います。

ヴィパッサナー瞑想はインドの最も古い瞑想法のひとつで、2500年前にブッダが人々を苦しみからの解放するために、生涯を通して教え続けた修行法です。しかし時代が下るとともにその瞑想法が失われ、唯一、ミャンマーで師から弟子への直伝という形で保たれてきました。ミャンマーのヴィパッサナー指導者のサヤジ・ウ・バ・キンから、ゴエンカ師はヴィパッサナー瞑想法を学び、まずインドで指導を開始し、世界各国に広まりました。日本では1989年に京都の山里に「ダンマバーヌ」というヴィパッサナーセンターが開設されました。

ゴエンカ師による教えは、もちろん仏教の教義に違いありませんが、ヴィパッサナー瞑想テクニックの伝授という位置づけなので、宗教の壁を超えてキリスト教、ヒンズー教、イスラム教等の信者にも広く門戸を開放しています。

ヴィパッサナー10日間コースのメニューは、4時に起床して、4時半から21時までの間に約10時間瞑想を行います。食事は、菜食で1日2回です。また、10日間を通して、「聖なる沈黙」を守らなければなりません。
受けるに当たって、それなりの強い決心が必要な修行です。けれどもそれだけ集中してヴィパッサナー瞑想をすると、浄化が進み、かなり深い部分まで心の手術ができます。

10日間コースの費用ですが、自分のコース費用は以前に受講した人の寄付によってまかなわれています。コースに参加するための費用は、食費・宿泊費を含めて一切請求されません。コース終了後に、受講者が他の人々にも同じ機会を与えたいという自発的な意志があれば寄付を行って帰ります。

興味がありましたら、ゴエンカ氏の本「日ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」などを参考にして下さい。

※ 参加される方への個人的なアドバイスですが、サンダル、虫よけスプレー(香りの強くないもの)、虫さされの薬、空のペットボトル(小)を持参していくと便利ですよ。それから、聖なる沈黙と浄化のせいで、夜中に寝言を言ったり、叫んだりする人が結構いるので、神経質な人は耳栓があったほうが安眠できます。

私の体験

私の友人に熱心なヴィパッサナー瞑想者がいて、約20年前にはじめてコースを取りました。その当時、座禅で長時間の瞑想に慣れていたつもりが、非常に辛く、苦しい10日間だったという思いばかりが残って帰ってきました。それでも友人がグループ瞑想会やセルフ・コースを自主的に開いてくれていたので、なんとなく細々とヴィパッサナー瞑想を続けてきました。

そらから10年が過ぎ、自分を深く見つめなおしたいという願望から、、本当に久しぶりにダンマバーヌに出かけました。以下は、その時ののジャーナルです。

1~3日め
ヴィパッサナーコース初日にものすごくいい夢を見た。そのせいで妙にウキウキしてしまい、瞑想がガタガタ状態。体が調整しているのか、眠気も強く、目を閉じれば爆睡するか、雑念だらけで集中力ゼロ。特に課題がないから、あせりもなく、まあいいや~という感じ。

4日め
待ちに待ったヴィパッサナの日。やっと眠気も抜けて、起きていられるようになったけれども、相変わらず集中力はない。ただ体中のエネルギーの流れがとてもいいので、気分は上々。

5日め
この日の午後はかなりの邪気が抜けはじめて、とても座っていられない状態になる。苦しい、、、でもいらないものが抜けるのは嬉しい。かなり邪気が抜けたから、今回の瞑想はこれぐらいにして、奉仕(サーバー)に加わって、料理を作りたいという衝動にとらわれ始める。

6日め
シャワー・トイレ棟の掃除をしながら、あまりのエチケットやマナーの悪さに新しい生徒への不満が噴出してくる。自分のサンカーラ(反応)を観察しながら、まだまだ捨てきれていないエゴがいっぱいあるなと思う。人を通してでなければ、自分のエゴが見えない。人口密度の濃い空間での集団生活はきついけれども、これも修行のうちなのだと思った。

7日め
今まで深まらないヴィパッサナー瞑想で「良し」としてきた自分の態度を反省して、7日めから一切の雑念を横において無念無想になろうと決心する。聖なる沈黙と長い瞑想時間で準備が整っていたのか、思考停止をすると、いとも簡単に禅定に入る。禅定に入るとものすごく気持ちいい。ヴィパッサナはどうでもよくなる。一日中、気分爽快。残りの日もこんな感じでどんどん進もうと思った。

8日め
思うように行かないのがこの世の常だと思い知らされる。前日の瞑想が深過ぎて、ちっとも眠れなかった。そのせいで瞑想時間中、ほとんどが爆睡だった。意識が保てない。昨日のようにいかなくてちょっとブルー。その日のゴエンカ師の法話にハッとさせられる。ヴィパッサナーは気持ちのいい感覚を楽しんだり、探したりするものではない。気持ちのいいものも不快なものも、ただ観察する。感覚自体に意味はない。ただ感覚には共通する性質がある。浮かんでは消えていく、浮かんでは消えていく。アニッチャー(無常)。

9日め
真剣にヴィパッサナー瞑想に取り組める最後の日。禅定を意識するよりも、ヴィパッサナーに集中する。細かく観察していくと喉からハートにかけてブロックがあり、メスを入れていくと、自分でとうに消化したと思っていたコンプレックスが出てくる。胸がキリキリと痛みだすが、手術しないと本当の意味のハートの覚醒が起こらないと思った。これでよしと満足していると、次の瞑想時間には新たな問題に取り組まされた。

足のしびれを観察しているうちに、右肩甲骨に鋭い痛みが走り始めた。脂汗がにじむほどの痛み。それを客観的に観察しようと思っても痛いものは痛い。痛みに対してどうやって客観的になれるかを考えてみる。ユダヤ人の強制収容所にいた人たちはどうやって飢えや痛みに耐えしのいだのか。磔にされたイエス・キリストはどうやって痛みを切り離したのか。ありがとうおじさんが骨折した時に痛みを感じずに過ごしたという話を思い出して、今度、おじさんに会ったらやり方を聞いてみようと思った。

次の瞑想時間になると、また右肩甲骨が猛烈に痛み出した。ちゃんと痛みを消してみなさいってことかと思いなおして、神様にお願いしてみる。全然よくならない。それどころかもっと痛くなってくる。自分の中に痛みを入れてはいけない、自分を消さなければ痛みは消えないと思うけれど、痛いものは痛い。痛みの観察どころじゃない。心の平静を取り戻すために、呼吸に集中する。鼻腔に出入りする空気の流れ、一呼吸、一呼吸を感じているうちに、ふっと宇宙の意識につながった。自分の呼吸と鼓動が宇宙の意識に溶け込んでいくと、自分はこれまで一時たりとも大いなる意識から離れたことはなかったことにハタと気付かされた。

意識が肉体に戻ると、肩甲骨の痛みも足のしびれも消えてしまっていた。肉体という枠組みを使って、己を観察しなさいというヴィパッサナーの実践的手法のすごさを本当の意味で体験した気がした。これがパンニャー(般若:智恵)なのだと腑に落ちた。

10日め
9日めの体験にすっかり満足して、この日はまたヴィパッサナー瞑想が適当になってしまう。私の悪いクセだ。午後から聖なる沈黙が解かれる。自然の声しかなかったダンマバーヌが急に騒がしくなる。音波のショックから逃れたくて、つとめて静かな場所を探して過ごす。でも音に少しずつ慣らしていかなければ、とても街中の喧騒には耐えられない。夕方頃から人に交わって話をし始める。

最終日の夜も、最初の日に対応するいい夢を見た。おかげで、翌朝の瞑想も嬉しさのあまり心が落ちつかなかった。

そして現在

内なる自分の観察をとことん体験しつくしたら、渇望がなくなってしまいました。今は瞑想とは無縁の生活です。みんな生きるのが苦しいから、何か答えを求めて、すがるようにコースにやってきているのだと思います。気のすむまでとことんやれば、ある時、フッと手放せる時がきます。極まれば転ずで、執着する自分からとらわれれない自分にスイッチが切り替わる時がやってくる。悟りを開いたとか、そういうすごい境地ではありませんが、いい意味で肩の力が抜けたと思います。

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